ヨーロッパ旅行-その4
6日目
このツアーの最終地、フランス・パリです。
この日、午前中は、市内観光。
まず、エッフェル塔の近くへ。
エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造された。建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、クライスラービルが完成するまでは世界一高い建造物であった。現在は放送用アンテナが設置されたため、324mとなっている。展望台は3つあり、高さは57.6m、115.7m、276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動している。鋼製ではなく錬鉄製の塔である。塔の支点の下には水平に保つためのジャッキがある。
なお万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約から1909年には解体されようとしていたが、のちに軍事用の無線電波をエッフェル塔から送信することになり、そのため国防上重要な建築物ということで、現在に至るまで残っている。
現在ではパリを代表するシンボルとなっている。1991年この塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録された。
それから、世界最大級のコレクションを誇るルーブル美術館を見学。
ここにはかの有名な、「モナリザの微笑み」「ミロのヴィーナス」その他有名な絵画、美術品等拝観出来る。パリの中心部、セーヌ川の右岸に位置し、ルーヴル宮殿の大部分を占めている。その起源は12世紀末に建造の始まったパリの街を守護するための要塞であり、時代の変遷とともにフランス王家の宮殿、そして美術館へと変貌を遂げてきた。
続いて、バスの車窓からノートルダム寺院、シャンゼリゼ大通り、セーヌ川川岸等を見て、オペラ座近くで昼食。
昼食は、エスカルゴの前菜で始まるフランス料理。
午後は、オプショナルツアーでベルサイユ宮殿へ。
ヴェルサイユ宮殿(フランス語:Chateau de Versailles) は、1682年、フランス王ルイ14世(1638年 - 1715年 在位1643年 - 1715年)が建てたフランスの宮殿。ベルサイユ宮殿とも表記される。 パリの南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。主な部分の設計はマンサールとル・ブランによっておこなわれ、庭園はアンドレ・ル・ノートルによって造営された。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。
夕食は、ホテルで!これがなかなか美味しかった。
夕食後、セーヌ川沿いを散策。
エッフェル塔は、10時、11時、12時になるとイルミネーションが点灯!
ホテルの部屋から!
7日目
朝散歩へ。
そして、ホテルの朝食。ここにはジャパニーズセットという朝食があった。これがそのセット。
朝食後地下鉄で、凱旋門へ
凱旋門と言えば、パリの象徴的な建造物の一つで、単に凱旋門と言えばこのエトワール凱旋門を指すことも多く、世界有数の観光名所となっている。この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、12本の通りが放射状に延びており、その形が地図上で光り輝く「星=エトワール」のように見えるので、この広場は「星の広場(エトワール広場)と呼ばれていた。そのため、「エトワール広場の凱旋門」との正式名称がある。但し、現在この広場は「シャルル・ド・ゴール広場」と名称が変更になっている。エトワール凱旋門は、前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成した。ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは、1840年にパリに改葬された時であった。古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、新古典主義の代表作の一つ。
シャンゼリゼ通りで一服。
そしてホテルへ戻り、近くの自由の女神へ。この自由の女神は、アメリカの自由の女神に向かって立っているそうだ。
いよいよ経てるから帰路へ
パリのシャルルドゴール空港発16:20→アムステルダム空港経由→成田着15:25
無事成田に到着。大変楽しい旅行でした。
添乗員の平沢裕子さん、そして同行の方々、藤井家ありがとうございました。
« ヨロッパ旅行-その3 | トップページ | ウォーキング-3 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- くらやみ祭り(2017.05.04)
- 久しぶりの海水浴(2013.08.13)
- ヨーロッパ旅行-その4(2010.08.18)
- ヨロッパ旅行-その3(2010.08.16)
- ヨーロッパ旅行-その2(2010.08.13)