愛知県西尾市吉良町宮崎の蛭子社にある恵比寿海水浴場で泳いだ。旅行は8月10日~12日の3日間。宿泊は海岸沿いの竜宮ホテル。この場所は、娘の主人の実家があるところ。お墓参りを兼ねての旅行。行き帰りとも車で8時間。
まずはお墓参り。
竜宮ホテル
なかなか立派なホテルだった。
道路を渡るとすぐ海岸の立地にあり海水浴客にはとても便利だ。
http://www.ryugu.yad.jp/
昼食
吉良温泉のXSPA・中国美食楼閣「CHEN FON(チェンフォン)」で中華ランチブッフェを。
これが美味しい
http://www.japan-net.ne.jp/~kira-spa/eating_facility/10.html
3日目は、残念ながら、私は夕方から東京で用事があったので、名鉄吉良吉田駅から名古屋に出て新幹線にて東京に。吉良吉田を8時48分に出て東京に11時53分着、以外と近い。
久しぶりの海水浴、とても楽しかった。
6日目
このツアーの最終地、フランス・パリです。
この日、午前中は、市内観光。
まず、エッフェル塔の近くへ。
エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造された。建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、クライスラービルが完成するまでは世界一高い建造物であった。現在は放送用アンテナが設置されたため、324mとなっている。展望台は3つあり、高さは57.6m、115.7m、276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動している。鋼製ではなく錬鉄製の塔である。塔の支点の下には水平に保つためのジャッキがある。
なお万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約から1909年には解体されようとしていたが、のちに軍事用の無線電波をエッフェル塔から送信することになり、そのため国防上重要な建築物ということで、現在に至るまで残っている。
現在ではパリを代表するシンボルとなっている。1991年この塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録された。
それから、世界最大級のコレクションを誇るルーブル美術館を見学。
ここにはかの有名な、「モナリザの微笑み」「ミロのヴィーナス」その他有名な絵画、美術品等拝観出来る。パリの中心部、セーヌ川の右岸に位置し、ルーヴル宮殿の大部分を占めている。その起源は12世紀末に建造の始まったパリの街を守護するための要塞であり、時代の変遷とともにフランス王家の宮殿、そして美術館へと変貌を遂げてきた。
続いて、バスの車窓からノートルダム寺院、シャンゼリゼ大通り、セーヌ川川岸等を見て、オペラ座近くで昼食。
昼食は、エスカルゴの前菜で始まるフランス料理。
午後は、オプショナルツアーでベルサイユ宮殿へ。
ヴェルサイユ宮殿(フランス語:Chateau de Versailles) は、1682年、フランス王ルイ14世(1638年 - 1715年 在位1643年 - 1715年)が建てたフランスの宮殿。ベルサイユ宮殿とも表記される。 パリの南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。主な部分の設計はマンサールとル・ブランによっておこなわれ、庭園はアンドレ・ル・ノートルによって造営された。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。
夕食は、ホテルで!これがなかなか美味しかった。
夕食後、セーヌ川沿いを散策。
エッフェル塔は、10時、11時、12時になるとイルミネーションが点灯!
ホテルの部屋から!
7日目
朝散歩へ。
そして、ホテルの朝食。ここにはジャパニーズセットという朝食があった。これがそのセット。
朝食後地下鉄で、凱旋門へ
凱旋門と言えば、パリの象徴的な建造物の一つで、単に凱旋門と言えばこのエトワール凱旋門を指すことも多く、世界有数の観光名所となっている。この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、12本の通りが放射状に延びており、その形が地図上で光り輝く「星=エトワール」のように見えるので、この広場は「星の広場(エトワール広場)と呼ばれていた。そのため、「エトワール広場の凱旋門」との正式名称がある。但し、現在この広場は「シャルル・ド・ゴール広場」と名称が変更になっている。エトワール凱旋門は、前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成した。ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは、1840年にパリに改葬された時であった。古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、新古典主義の代表作の一つ。
シャンゼリゼ通りで一服。
そしてホテルへ戻り、近くの自由の女神へ。この自由の女神は、アメリカの自由の女神に向かって立っているそうだ。
いよいよ経てるから帰路へ
パリのシャルルドゴール空港発16:20→アムステルダム空港経由→成田着15:25
無事成田に到着。大変楽しい旅行でした。
添乗員の平沢裕子さん、そして同行の方々、藤井家ありがとうございました。
5日目
朝、ホテルからバスで、ラウターブルンネン(Lauter Brunnen)(標高796m)へ。この日はあいにくの天気でアルプスの景色は期待薄!
ラウターブルンネン(Lauter Brunnen)からヴェンゲルンアルプ鉄道で、クライネ・シャイデック(標高2061m)へ。
クライネ・シャイデック(Kleine Scheidegg)からユングフラウヨッホ鉄道で、途中、アイガーヴァント(Eigerwand)(標高2865m)と、アイスメーア(Eismeer)(標高3160m)に観光停車する。アイガーヴァントはアイガー北壁の途中でガラス張りの窓があって、アイガー北壁を見下げることが出来るはずだが、あいにくの天気でほとんど見えない。
そして、Top of Europe、ユングフラウヨッホ駅(標高3454m)へ到着。
登山列車は、全長9.3キロメートル、標高差2658mを、所要時間は約50分程度。シュトループ式のラックレールを用いたラック式鉄道で、日本で最も急な勾配がある区間より、さらに3倍ほど急な傾斜らしい。クライネ・シャイデック駅を出発すると、アイガー、メンヒ両山の山中をトンネルで通過し、ユングフラウの途中にあるユングフラウヨッホ駅まで登る。しかし、電車に乗っているほとんどの時間はトンネル内であり、風光明媚な景色が常に車窓から見られるわけではない。
エレベーターでユングフラウヨッホ・スフィンクス展望台3573mへ。
晴れていれば見られるはずの、ユングフラウヨッホ・スフィンクス展望台よりの眺めでヨーロッパ最長のアレッチ氷河。
スイスのユングフラウヨッホの郵便局と、日本の富士山の郵便局が姉妹縁組した記念に、日本から送られて据え付けられたそうです。
これに投函してもOKとのこと。日本へ届くそうです。
車中から
もし晴れていれば車中からアイガー北壁が。
クライネ・シャイデック駅2061mで。
もし晴れていればこのような景色!眼前の山はアイガー3970m、右の山はメンヒ4107m。
ここで昼食。スイス名物「ロシュティ(ジャガイモの重ね焼き)」と言うことらしいが、ここのは、東京の方南町の何時もいく飲み屋の「ジャガイモとベーコンの炒め」にソーセージが添えてあるのと同じで、日本で食べる方が美味しい。
このあたりの花
ここから、電車でグリンデルワルトへ。
電車の車中から。
グリンデルワルト駅に到着、ここで散策。
この辺での花を
今日のコース
ここからバスで、210km/約3時間でローザンヌへ。
ここからは、フランス新幹線TGVにてパリへ。
新幹線と聞いて、日本の新幹線と比較したが、一般の特急ぐらいのスピードで、時々ちょっと早いかなという程度であった。
ホテルは、Novotel Paris Tour Eiffelで、エッフェル塔から徒歩15分ぐらいのセーヌ川ぞいのホテル。
ホテルの部屋から
ではこの続きはまた。
ヨーロッパ旅行-その2
3日目
ローテンブルグから240km/約4時間のホーエンシュバンガウへ。
ミニバスでまず、ここの山の上にあるバイエルン王ルートヴィヒ2世が建てたノイシュバンシュタイン城を観光。城見学の前に、吊り橋マリエン橋迄行き、橋からシンデレラ城風の写真を撮って、歩いて下りノイシュヴァンシュタイン城に行く。
歴史の旧い中世のお城が多い中でノイシュヴァンシュタイン城は比較的新しいもので、1869年に着工し、建築に17年かけましたが、1886年ルートヴィッヒ2世失脚と同時に未完成のままとなっているようだ。ルートヴィッヒ2世は1845年8月25日にミュンヘンで生まれ、18才でバイエルン国王の座につくが、41歳に湖で謎の死をとげる。孤独な生活を送ったルートヴィッヒ2世は、ワーグナーを愛し、自分の美学を追究し、それがノイシュヴァンシュタイン城建築へと向かったと言われている。1869年、24歳の時に着工し、17年の歳月をかけたノイシュヴァンシュタイン城も構想の2/3が未完成で、1873年に城門館が完成、1883年に本丸完成、1884年からは本丸4階の王の住居は入居できるようになったが、ルートヴィッヒ2世の延べ滞在期間は僅か172日間で、美しい姿とは裏腹に悲しい歴史を持っているようだ。
昼食はローストポーク。
小高い丘の上のもう一つの城ホーエンシュバンガウ城。ホーエンシュヴァンガウ城は、麓のホーエンシュヴァンガウから直ぐ上に見上げる位置にあるネオゴシック様式の城。ホーエンシュヴァンガウ城はノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィッヒ2世の父であるマクシミリアン2世が、1832~1836年、4年かけて再建したました。元々はシュバンガウの王が12世紀に建てたものですが、その後跡継ぎが途絶え廃墟となっていたものをマクシミリアン2世が買い取って再建したもの。
ここから、ミュンヘンへの途中、ヴィース教会へ。ヴィースの巡礼教会(Wieskirche)はドイツバイエルン州南部、ヴィースにあるキリスト教教会。1745年から54年にかけてヨハン・バプティストとドミニクス・ツィンマーマンによって建てられた。外観は牧場の中に建つ何の変哲もない教会だが、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられている。ロマンティック街道、ドイツ・アルペン街道の観光スポットの一つとなっている。
夕方、ミュンヘンに到着。
夕食は、ビアホール「ホフブロイハウス」で1Lの特大ジョッキと、料理はバイキング。ここはナチスの前身のドイツ労働者党が集会を開き、ヒトラーが頭角を現すきっかけになった演説をしたことでも知られる場所。店舗建物の1階がビアホール、2階がレストラン、3階が有料のショーが催されるフロアとなっている。また、1階の中庭はビアガーデンとなっている。ただ、我々団体は、2階席で1階の一般席では無かった。出来れば、1階のわいわいがやがやの中でビールを味わいたかった。さすがに大ジョッキは飲み干せず残してしまった。そしてすぐ向かいに「ハードロック・カフェ」があったので、Tシャツを購入。
その後、ホテルへホテルは、Best Western Atrium Hotel。
4日目
バスで、国境を越え、スイスの山岳リゾート、インターラーケンへ。
途中、湖畔の街ルツェルンへ。(ミュンヘンからルツェルンまで360km)ルツェルンにくるまでにアウトバーンの休憩所で各自昼食を。バーガーキングで我々はKids Barger Set を。あまりおなかがすいて無かったので、ちょうど良かった。ところで、ルツェルンは、フィアヴァルトシュッテッテ湖の北西端、ロイス川沿いに位置するルツェルン州の州都であり、中央スイスにおける文化、経済の中心地である。
まず、「嘆きのライオン」像を見学。フランス革命の最中1792年のテュイルリー宮殿でのスイス人衛兵の虐殺を偲んで造られた像である。
その後、街の中心を添乗員と散策。屋根付きの木橋(カペル橋)に。カペル橋は、スイスのルツェルンを流れるロイス川に架かる橋である。 ヨーロッパで最も古い木造橋であり、スイスの主要な観光スポットの一つでもある。ルツェルンを敵の攻撃から守ることを主眼に、1333年に造られた屋根付橋である。橋の内側には17世紀に描かれたルツェルンの歴史についての一連の絵がある。1993年の火災により、橋の大部分と、ほとんどの絵は焼失してしまったが、すぐに再建された。橋に隣接して、8角形でレンガ造りの高さ43mの水の塔がある。塔と橋はルツェルンのトレードマークとなっていて、多くの写真が撮られている。
イエズス教会:スイス最古のバロック建築。1666年築。
市内散策、そしてデパートへ。
ここから再び、バスで約60km峠を越えてインターラーケンへというコースが、峠が工事でバスは通行止めと言うことでアウトバーンを大回り(約200km)してインターラーケンへ。2時間以上ロスしたが、トイレも皆我慢、無事インターラーケンのホテルへ。
ホテルは、City Hotel Oberland。
早速、ホテルで夕食。スイス名物の「フォンデュ・シノワーズ(スイス風しゃぶしゃぶ)」続きはまた。
その後散策。
ロマンチック街道とスイスアルプス、パリ 8日間ツアーに、2010.7.30~8.6出かけた。
4年前の9月、10日間の中東欧(ドイツーチェコースロバキアーハンガリーーオーストリア) に友人家族と我が夫婦の4人で、旅行したのだが、これがとても楽しく、次回2年後に表街道を是非旅行しようと、計画したが、我が家の事情で翌年に延期、昨年は友人の都合で今年に延期となった。
今回のコースは、
成田空港⇒ドイツ・フランクフルト空港⇒フランクフルト1泊⇒ライン川下り⇒ローテンブルグ1泊⇒ホーヘンシュバンガウ・ノイシュバンシュタイン城⇒ミュンヘン1泊⇒ルツェルン⇒スイス・インターラーケン1泊⇒ユングフラウヨッホ観光⇒ローザンヌ⇒フランス新幹線・GTV⇒フランス・パリ2泊⇒パリ空港⇒(オランダ・アムステルダム空港経由)⇒成田空港
では、暫時ツアーの楽しかったことをご報告しよう。
1日目
東京・成田 12:15発~ドイツ・フランクフルト 17:20着
着後、空港近くのホテル:Courtyard by Marriott Frankfurt Messeへ。成田で買ったおにぎりとホテルで買ったサンドウィッチとビールとワインで部屋で乾杯!ドイツビールとワイン、これが美味しかった。
ホテルの周りの花と実
2日目
フランクフルト
午前:ライン川クルーズ観光。
フランクフルトから70kmのリュ-デスハイムへ。
リューデスハイムの朝(ライン川下りの船に乗船する前のツグミ横町等)
ここから乗船、ニーダーヴァルト記念碑、ネズミ城、点在する古城やローレライの岩を見ながらザンクトゴアハウゼンへの約1時間半のクルーズでした。
ザンクトゴアハウゼンはローレライの町として知られているが、ローレライは「妖精の岩」という意味で,ここを旅してきた船人が美しい黄金色の髪の乙女に魅せられて,舵を取り損ねて命を落とすという伝説の舞台となったところ。町の背後にはねこ城があり,14世紀にツェンエーレンボーゲン伯爵によって建てられた。ローレライは,実際に訪ねてみるとただの岩山で,どうしてこのようなロマンチックな話がつくられたのか,少し不思議な気がする。
ローレライの岩とネコ城
ここからリュ-デスハイムへバスで戻り昼食。
昼食はポークカツレツ。
リュ-デスハイムは、ラインの真珠とも呼ばれる小さな町。人口1万人。ツグミ横丁Drosselgasseのワイン酒場が有名。ワイン酒場やおみやげ屋さんが並んでいる。白ワインの産地。
ここから バスで、270km(4時間)のローテンベルグへ。夕刻到着。聖ヤコブ教会とかマルクト広場等市内散策。ローテンブルクは街の周りが城壁で囲まれていて、半日あれば徒歩で十分まわれるほど小さな街です。
でも、街の中には小さなミュージアムや、色んなお店があって、特に、クリスマス用の商品だけを専門に販売する、ケーテ・ウォルファルトは本店を含め何カ所かにお店が!こんなにお店があっても成り立つんだと感心させられた。
また、市庁舎の隣にある、市議宴会館の仕掛け時計(1683年にできたもの)。昔のドイツを舞台としたキリスト教のカトリック(旧教)対プロテスタント(新教)の宗教戦争で、1631年、ブロテスタント側にあったローテンブルクは、ティリー将軍率いるカトリック側に包囲占領されてしまったが、有罪の宣告をを受けていた市議会員と、焼き払われる連命にある街を救うため、旧市長ヌッシュは、将軍の『ワインを一気飲みできたら街を救ってやろう』という申し出を請けて立ち、3.25㍑のワインを一気に飲み干し、ばたんとひっくりかえったらしい。この様子が仕掛け時計に。実際に見たが、なんか、がっかり?!? 時間になったら、時計の脇の2つの窓が開いて、片側に街を占領したティリー将軍が、片側にワインのジョッキを飲んでいる旧市長ヌッシュが。1分ぐらいしたら窓が閉まるという単純なものであるが、これを見るために人が大勢!
名物のお菓子 ”シュニーバル”げんこつくらいもある大きなボール状の焼き菓子バリエーションがいろいろあって、粉砂糖やチョコがけナッツがまぶしてあるものなどなどいろいろありました。Diller Schneeballentraumeのお店が美味しいらしく、私も買ってみた。ドーナツとも違うが美味しかった。
ホテルは城壁内のPrinz Hotel Rothenburg。
夕食はメインディッシュが魚料理でした。(残念なら食い気が先にたち写真をすっかり忘れました)
ではこの街での花、ブドウ洋梨等
さてこの続きは次回!
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